こうすれば主語は省略できる 2

昨日は太田蘭三の小説を材料にして主語の省略の仕方を研究した。
今日は別の小説を観察してみたい。手元にちょうど、『ランティエ 2014年9月号』があるので、この中の今野敏『潮流 東京湾臨海署安積班』、これを見てみよう。

 彼は、刑事としては明らかに太りすぎかもしれない。行動はのろまに見える。だが、その頭脳の回転までのろまだと思っていると、痛い目にあう。

さあ、どうだろう。主語を意識しながら読んでみて欲しい。お気づきだろうか。
そう、第1文、第2文には主語が存在する。が、第3文は否だ。「だが、その頭脳の回転までのろまだと思っていると、痛い目にあう」。ここには、主語が全く見当たらない。にも拘らず、主語が誰であるか、すぐにわかってしまうだろう。答えについては後述するとして、この例が、これまで見てきた手法とは明らかに違うことに気づいたはずだ。
過去に見た「主語なし文」の例では、先行する部分に必ず主語の候補が存在した。しかし今回は少し毛色が違う。試みに、問題の文(=主語を欠いた文=第3文)から先に文章を遡ってみても、主語になりそうな言葉が一切ないのだ。
ここで、主語にあたりそうな人物について考えてみよう。強いて挙げるとして、その人物はいったい誰か。該当する語は文中にない。それは、不特定の誰かもしくは読み手、簡単に言うと「第三者」である。
つまり、「のろまだと思う」主体は「彼」でもなければ小説中の他の登場人物でもなければ著者でもない、第三者だ。同様に「痛い目に合うの」もその第三者だ。これが上の例に登場した新しい主語省略の形ということになる。

今回は、前回に引き続き「主語の省略」について考察した。今後も日本語の文法書を参考にするのではなく、実地に調査しながら、日本語の森を探索していきたいと思う。