人民の?

マーク・ピーターセン氏は、著書『ニホン語、話せますか?』(2004)で、かの有名なリンカーンゲティスバーグ演説の名文句「人民の、人民による、人民のための政治」に関して、故丸谷才一氏の意見に異議を唱えている。

「英語との比較」の話ではないが、最近『丸谷才一の日本語相談』(朝日新聞社)にも驚かされた部分があった。きっかけは、こんな「問い」である。「リンカーンの有名な言葉、「人民の、人民による、人民のための政治」ですが、『人民による、人民のための政治』だけで意味を尽くしていると思います。『人民の』には、どういう意味があるのですか。助詞『の』について詳しく説明してください」。この場合の「の」の曖昧さが指摘されて、鋭い質問だと思ったのだが、その答えに、こんなことが書かれていた。government of the people, by the people, for the people は、『人民()、人民によって、人民のために()()()()こと』の意である」(イタリック・傍点引用者)。つまり、government of the people の of は、「所属」(例:a member of team)や「所有」(例:the friend of mine)、「材料」(例:a ring of gold)等々を示すような of ではなく、「目的格関係」(例:the exchange of opinions=意見()交換すること)を示す of だ、と説明しているわけである。英語圏で141年以上も続いてきた常識的受け止め方が引っ繰り返される、リンカーンも驚くにちがいない、突拍子もない文法的解釈だが、実は、そこでやっと著者がいちばん指摘したかったと思われるポイントが浮上するのだ。つまり、現在の日本語では当り前となっている「歴史()研究(=歴史()研究すること)」などのような表現に見られる「目的格」を示す「の」は、「どうも昔はなかつたらしい」、英語の of の影響でそれが生じたのではないか、というポイントである。
 リンカーンの言葉について簡単に言えば、government (which is) of the people (and is) by the people (and is) for the people (ちなみに、中国ではこれは「民有、民治、民享的政府」と訳されているようだが)の of the people は、いわば、「人民の合意の上で出来た」や、「人民の間から生まれた」などのような意味を表している。リンカーンはこの言葉で「government=政治」を説明しているわけで、government に統治されるのは the birds でも the flowers でもなく the people だよ、とわざわざ述べる必要も意図も、言うまでもなく、ない。

博識で知られた丸谷氏も、こと専門の英語に関しては、この程度の理解であったことを露呈してしまった。それにしても原稿を書く前にネイティブにチェックしてもらうという手間をなぜ丸谷氏が惜しんだのか甚だ疑問ではある。